読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

社会の隅っこから

アスペで躁鬱で神経質な私の思うこと。

グレート・ギャツビーの魅力

本・漫画

一応ブログのカテゴリーを読書にしてしまったのもあるので、今回はフィッツジェラルド村上春樹訳「グレート・ギャツビー」について書きたいと思います。

※ネタバレ注意、小説の文章をそのまま載せているところがあります

 

この本は時代的にいうと、アメリカがどんどん経済発展をし、盛り上がりまくってた頃の話です。

1925年に出版されたものということで結構古いのですが(作者は若くしてとうに死んでもいます)、現在はアメリカ文学を代表するものの一つ、名作としてしっかり地位を確立してもいます。

 

ストーリーについて言うと・・・難しいですね。私からすると、ストーリーに関してはよくわからないというのが正直な感想です。

起承転結はあるのですが、「うーん何が言いたかったんだろう」というような、スッキリしないものです。実際に読んだ人も、何が面白いかわからなかった、そもそもどんな話だったっけ?というような反応が多いように思います。まあ、それほど沢山の人の意見を聞いた事がある訳ではありませんが・・・

 

ストーリーを三行でまとめると、

ロマンチックな夢を追い求めた男(=ギャツビー)が

その夢と愛に敗れ

儚く散るひと夏の物語(を主人公のニック視点から見たもの) です。

ストーリーラインよりは、フィッツジェラルドの美しい文章、哀しみ、人間の美しさと矛盾、死を小説全体で描き切ることに成功しているのが素晴らしいと思います。

 

この小説の書き出しはこうです。

”僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。この言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。

「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたのではないのだと」”

 

この文章、訓話のようなものですが、私は好きです。基本的に訓話は大嫌いなんですけどね。リアルで誰かに言われたら「だからどうした、うるせえなあ」と思うかもしれません。

しかしフィッツジェラルドの小説に出てくると、なぜか説得力をもってすっと入ってきます。そしてこれが、この小説の語り手(ニック)の基本的態度でもあって、大事な要素になっている気もします。

謙虚に控えめに、中立的に。考察はしても判断は下さず、コミットしながら同時に観察者であれ。これがすぐれた小説の語り手に求められる条件だと思うのですが、どうでしょう。

 

そして終わりの文章がまた素晴らしい。こちらはギャツビーの生きざまを鋭く表現してもいます。

”ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・・・そうすればある晴れた朝にー”(もう二文続きますが省略します)

 

私がぐちゃぐちゃ語るよりも、始めと終わりの文章がこの小説の魅力を端的に伝えてくれていますね。

 

ちなみに、最近DVDで見たのですが「華麗なるギャツビー」という題で映画になってもいます。

ギャツビー役はレオナルドディカプリオ、私の抱いていたギャツビー像とは違いましたが、全体的には悪くない映画でした。小説ではイメージしきれなかった登場人物の造形や、風景や時代なんかを感じられました。

 

フィッツジェラルドの本は他に「冬の夢」という短編集も持っています。あとは図書館で借りて長編小説「夜はやさし」も読みました。

「冬の夢」は文句なしに美しい名作です。「夜はやさし」は「グレート・ギャツビー」と比べると格が一つ落ちると言われていますが、私としてはむしろこっちの方が好みかもしれません。内容のわりに長すぎる感じは否めないものの、メンタル病んでる人(統合失調症)が出てくるのもあって、心を掴まれます。

 

まあ基本的にメンタル病んでる人が出てくる小説は好きですね(笑)精神科を受診している系はもちろん、心が壊れちゃってる系もいいです。

村上春樹ノルウェイの森」「色彩を持たない多崎つくると 彼の巡礼の年」、乃南アサ「晩鐘」、レイモンドカーヴァーは基本的に主人公家庭崩壊してますし、太宰治もやばいし、レイモンドチャンドラー「ロング・グッドバイ」もそうかな、あと諸々・・・

 

また色々とお気に入りの本については紹介していきたいですね。

グレート・ギャツビーについてはこの辺で。失礼します。